2006/11/03

『MA』11/2 カリオストロは必要でした

今更なんですが、まっさらな気持ちで観劇したい方はお読みにならないで下さいね。



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カリオストロがいるわけ、勝手に一考察



初日終わったあとは
カリオストロって必要な役だったのか・・・?」とか「進行役は二人要らないんじゃ・・・」とか散々考えてました。



ひとって勝手なもので、2回目にしてなぜそういう役があるのかが見えた途端に、よく考えてあるものだわなどと感心してしまうのだった。ごめんなさい。



大きな歴史の転換があった事件、革命などという想像をこえた巨大なものを描こうとしてるんだから大変。

大きな流れをくくるために「カリオストロ」という人物を置いてるんですよね。それが私にはすぐに掴めなくて~っ





個々の感情、個々の人生、それぞれの事件をただ描いてもまとまらない。



そこで、マリーやマルグリットと交わらずに、俯瞰している目線を観客に与える役を作ったというわけっすよ!



それは、カリオストロ伯爵~!!



で、カリオストロを置いて「全ては、我が掌中の珠の出来事・・・・・・」と言うと、革命時フランスにいたひとたちが、彼のたくらみによってひとつの物語としてまとまってしまうんですね~。わーっ



うまいやり方じゃないかーっ すぐに気づかなかったけどさ・・・





彼が登場させる人物たちの後を観客は追っていくと、革命のスケッチみたいなものを見ていけるんですよ。ね? って、勝手に考えてみました。



だれの物語



↑だなんて考えてたから混乱してたらしい。



いくら演出家や東宝が「群集劇」ですっておっしゃっても、タイトルが『マリーアントワネット』ですし。でなければ「2人のM.A」の物語だろうな、って思ってたんです。



全然違うんじゃなかったけど・・・レミのバルジャンよりも中心にいないような感じがしました。確かに「王妃」っていうイメージは中心にあるんですが。
貴族、庶民の両側から虚像か実像か・・・「マリーアントワネット」ってイメージを囲んでいるんですよね。



だけどマリーアントワネットの内面にはそれほど目線が行かないんですよ。もう少し!と思うところで、またふっと貧しい人たちのほうに場面が移っていく感じ。



とはいえ、やはり『MA』。当然二人の女性が物語の真ん中を進んでいきます。



カリオストロ



むふふふ。



彼は、なにかをしよう、と強く思ってはいなさそうに見えます。ふふふーん♪と鼻歌まじりに、人々が右往左往するのを楽しんでみてるような。それでいて、悪意ってものも感じない。
何だか面白い位置から、フランス革命をお膳立てして物見遊山~?



七つの悪徳♪ 悪いものほどよくまざぁるぅ~っ♪と歌うとこは、見せ場。踊るし歌うし客席降りもあるし。



とても楽しそうにふふーんと踊りながら、悪徳を用意! そしてまぜまぜすると「首飾り事件」の出来上がり~



女性2人がとてもシリアスなので、ふふーん♪のカリオストロと対照的で余計に浮き出ます。



そうそう1階からだと分かりにくいんですが、照明が分かりやすく意図がみえて素敵です。



カリオストロが歌うとき、舞台は赤く染まります。この場面だと悪徳をまぜまぜ♪するときは赤いライト。登場人物たちが動き出すと青いライト。



オペラ不要の前列でなければ、照明がよくわかる2階S席のほうが私は良かったな。



マントの裾を引きずっていく姿がよく見えてシアワセ! 舞踏会の場面でも、マリーのふわふわした裾が広がるのが綺麗でした。



ボーマルシェはどうか



彼は別世界にいるカリオストロとマリーたちの世界をつなぐ役目。



幕が上がった時には伯爵とともに革命を眺めていたのに、すーっとマリーの世界に入り込んでいきます。



でもポイントになる場面になると、伯爵の代弁者みたいにまた物語り始めます。なかなか便利なお役目です。





「するめ系」



物語の進み方が分からなかった初日に比べると、2回目は祐一郎の活躍がよく分かりました。あはは。



特に1幕は、登場してくる人物たちの側にいて彼の望む方向に向かせていきますね。
2幕は首飾り事件のあとは大きな渦がマリーたちを飲み込んでいくので、彼があまり手をだす場面がなくなってきます・・・(出番が少なめに・・・ううっ)



咬めば咬むほど味わい深い、するめのような舞台かもしれません。一度見て、もやもやしたらもう一度・・・



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