いやー、何回見てても、オーバチュア、ジャッジャジャーン! で熱き血潮な気分に引き込まれるのがスゴイです、レミ。
■「囚人の歌」 囚人たちがスモーク&ライトに照らされて行進してくるだけで、めまぐるしく物語が進行。バルジャンが仮出獄するまでの間に、かなりの情報が詰め込まれてます。
友人に「祐一郎の足首きれいだから見てね!」と言ってたくせに、久々のレミなのでコーフン激しく、足首まで見る余裕ナッシングでした。スモークと光の効果やら、音楽の素晴らしさやら、祐一郎のデカさだのに目が奪われておったのだった。
パンひとつ盗んで5年の刑、あとは脱獄の罪で、計19年もいた。
え、この汚いひと幾つ?(40代半ばよね・・・んまぁ!ってな感じですわ、青春なかったね・・・)
俺はジャン・バルジャン。俺はジャベール。
この名乗りあうところ、東宝CD時代の祐バルには反抗心があって言っている感じですけれど、最近の感じは・・・哀しみがこもっているように感じてます。誰も、ずーっと彼をジャン・バルジャンと呼んでくれてないのですよね。
あ、この先も、偽名で暮らすので、本名で呼ぶのはジャベールだけなんですね。あうー。
■「仮釈放」 いまこそ、自由だ・・・
祐一郎バルジャンの声に、胸がぎゅっと捕まえられてしいまう。待って待って手に入れた自由に、期待している様子が伝わる声。大事そうに「自由だ・・・」と言う声でした。
気持ちがぱーっと開放されていくような歌声。
■「司教」 前科者に世間は冷たかった・・・善悪の判断もつけられなくなっていたバルジャン、銀の食器を盗むが司教の愛で目が覚めるのでした。
これも悪い人になっていたっていうよりも、社会からはじかれてしまった者に社会のルール(モノを盗んではいけない)を守る謂れはないですものね。
バルジャンをここまで追い詰めた法のあり方は正しいのか! などと憤る私・・・怒っていたら、あっという間に舞台が進行してしまうので忙しいっす。
悪いことをするのは知っているが、罪悪感がなくなってしまったのよ。哀れ、バルジャン。
この日(16日)、祐一郎バルジャンったら、倒すべき椅子の背を一度触って場所をしっかり確認してから、ダーンと倒して捕まってました。カワイイ・・・うぷぷ。
■「バルジャンの独白」 前回公演のとき、ワナワナっと手をふりながら立ちすくんていた祐バルですが、今回は手をふるのはあまりしなかったですね。
むしろ、衝撃のあまり動けなくなっているみたい。表情も、はっきり何かと分かるようなものではなく、考えこんでいる感じ。これまでの自分を振り返っているのかも。
憎まれた俺は、この世を憎んだ。石のように心を閉じて生きてきたのだ、俺の人生。
あの地獄へ送り返さずに自由をくれたのだ。
生まれ変わるのが、神の御心か。
歌ってスゴイわー。バルジャンが40年来の自分を内面化していく過程が、ここに凝縮されてます。
闇を這い出そう、光を求めて別れを告げよう。罪がうずまくジャンバルジャンの世界と。
ジャンバルジャンは死んで生まれ変わるのだ。
レミを見始めたころ、このバルジャンの行動を地獄へ戻りたくないばかりに起こした行動みたいに思ったんですよねー。何で仮釈放の紙を破いたのかなって疑問でした。
バルジャンを捨てるのは、逃亡犯が偽名を使うこととは、バルジャンの覚悟から言うと、ちょっと違うんだと気づくのに時間がかかったよ、私。
厳しすぎて間違っている法律や警察よりも、神の求める生き方に近づきたくて、別人になろうという覚悟なのね。バルジャンを消してしまうというのは、それもまたツライことがたくさんだわ。
というのが分かるようになったのも、祐一郎のおかげかも。祐バルの蒼白って雰囲気の覚悟の強い姿を見ていると、司教さまから受けた愛がいかに彼を救って、そして生き方を示してくれしたのかがすごく良く分かるから。
あと、祐一郎の年齢が最高にバルジャンとマッチしていて、これまた、まさにバルジャンだなと思わせる。
たいていのひとは、人生見えてる年齢にあって、これからを覚悟している姿って、思いのほかズキンとやられちゃうのです。子どもがいてもいい年齢の人が、生まれ変わるぞって思ってるんですよ。すごすぎますって。
闇から、上を目指して生きていくバルジャン。やがて闇に吸い込まれてしまうジャベール、誰だよ、ほんと、素晴らしい舞台です。同じメロディで表現するなんてねぇ
久しぶりだったせいか、司教さまのお声を聞いてる段階で滂沱・・・ で、バルジャンが覚悟して立ち上がったのを見て、嗚咽。
(前も書いたけど、なぜか号泣さんばかり近くにたくさんいたので、心強い・・・席で、遠慮なく、うおおう、と泣いた。泣くと気持ちいいよねぇ)