2007/07/30

『心にナイフをしのばせて』奥野修司

☆☆☆☆

1969年春、横浜の高校で悲惨な事件が起きた。入学して間もない男子生徒が、
同級生に首を切り落とされ、殺害されたのだ。「28年前の酒鬼薔薇事件」である。
10年に及ぶ取材の結果、著者は驚くべき事実を発掘する。殺された少年の母は、
事件から1年半をほとんど布団の中で過ごし、事件を含めたすべての記憶を失って
いた。そして犯人はその後、大きな事務所を経営する弁護士になっていたのである。
これまでの少年犯罪ルポに一線を画する、新大宅賞作家の衝撃ノンフィクション。

何とも言いようのない話で、読了してもやりきれない気分がもやもやと残る。少年法は被害者の救済には無関心で、加害少年の更生に国費を費やしていて・・・・ 



弁護士になるには、前科があっても大丈夫なのか? 大丈夫だった。
さらに少年のうちは前歴というものにはなるけど、前科にはならないという。人を殺しても、犯罪人の更生が一番大事だということだ。国が罪なんかなかったよね、と教育もして世に出してくれるということ。



本の大半は、被害者一家(父親は他界している)の主に被害者の妹、そして母親への取材がほとんど。
最終的には加害者の現在をつきとめて取材を申し込んだが、当然応答はなし。



被害者の母親が、犯人と向き合わなければ人生にけりがつかない、と電話をするところは、本当にヒドイことになっていて、むかむかとしてくる。
現在は名士の扱いをされている加害者は弁護士となり、社会的地位も、財産もあるというのに、賠償金を1円たりとも(裁判所の決定だったのに!弁護士としても失格だろう)支払っていないことを母親が言うと、「なんだ金がほしいのか」と言ったとある。そしてそれは済んだ過去のことだ、と言ったそう。



ずーっと、ずっと苦しんできて、どうにかけりをつけたいと思えるまでになったところに、この言葉。



・・・・地獄の炎に焼かれるがいい。



日本の少年法は、公平さが欠けているのだなと恐ろしくなる。殺人の罪を背負って、更生し、かつ罪をつぐなう人生を送ることは。罪をなかったことにして、まっさらになって社会で暮らすことなく。



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