2009/05/26

『春のめざめ』5/14-2 善悪の話では見たくない

■悪いのは大人っていう話じゃなくて



物語の主人公たちから見ると「大人の女性/男性」は自分たちの自由を束縛する存在ですが、物分りのいい子にしたいっていうのは、それなりに親心は汲み取れます。間違っていたけど。



それぞれ各自が、興味とか思いやりとかのため、または心配の先に決断をしますが、ほとんど悪い結果を引き起こしているのが悲劇。罰を受けて不幸になるという教育的な話しではなくて、判断ミスに近いのです、悲劇ですよね。



ベンドラ&メルヒールの二人は、性に関してオトナたちが隠し、あるいは「愛」とかのファンタジーで包んでしまって、必要なことを知らずにいたせいかもしれない。知らなければ、それをしないのかと言うとそうは言えません。
悪いことと、してはいけないことを区別しなきゃいけなかったんだな。責任取れないことはする資格なしってことですよ。←あ、説教みたいだ。



メルヒオールは知的には他の子よりも進んでいたけれど、知識と知性は違って、責任は取れない。自分の知に自信満々なんですね。苦い経験をすることに。
ベンドラはいい子だけど、親が囲いすぎて自分の身を守るための正しい知識をもっていなかった。彼女の母は、ベンドラを思ってもぐりの医者に中絶させたが、結果娘は死んでしまう。なかったことにすれば良いという大人的判断の結果は死でした。



ほかにも同性にときめく男の子たち、それからピアノ教師の胸が気になって悶絶してる子などがいます。それくらいいいじゃん、と今なら笑えるような気がしますが、この時代には許されないことだったのね。



世間や親からの視線(悪いことだ!とされる)から、自由になりたい!と叫ぶ姿は素直に共感です。そうそう、やりたいようにしたいよねぇ



爆発しそう!の叫びは、「今!」しかない子どもらしい様子です。過去も未来もまだなくて、今を生きてる女の子と男の子たちー。
例えば・・・オトナになると明日仕事だから早く帰ろうとか・・・思いますよね。若い子は思わないよなぁ とにかく今が大事だもの



私はとっくに思春期は過ぎ去ったので、誰かに感情移入することもなく上から(実際2階席でしたけど・・・)全体を観てる感じでした。
これが登場人物と同世代だと、もっと親近感が湧くのかもです。



善悪の物語で見ちゃうと、違ってしまいそう。そういう風に見てもいいんでしょうけれど、こういう状況を感じる、というか見ることでも十分良いのかなと思います。善悪にするとオトナ的視点に固まってつまらないですし。



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