2010/03/26

『NINE』movie

2009年 ロブ・マーシャル/監督



☆☆☆



えー、たぶん期待しすぎた反動で。星3つ。2005年TPTの別所グイードで観た舞台がとっても好きだったので、まっさらな気持ちで観ることもできず。



ひとつひとつの女性たちが魅せるナンバーは良いです、それぞれ良いです。でも、構成というか演出というか、編集が私好みじゃなかった。



ミュージカルは、セリフ(歌詞)とダンスと歌い方、と、音楽でキャラクターの気持ちや状況を見せるもの。映画『Nine』では、そこが溶け込めてなくて切れ切れになっていたの。編集力の問題だと思うわー。



つぎはぎ感をぜひとも出したかったのなら大成功だけど、そうじゃないよね? ラストの物語場面を見ると、グイードが何かを乗り越えたと言いたいわけでしょう。



でも、ママともお別れできてないけど、いいのか?? 今まではママが優しく包み込んでくれていたけれど、もう大人なのだからお別れしましょうね、っていうのを受け入れるところがグイードの自立ポイントのひとつのはずだったんだけど。無いじゃん!



ママっぽい抱擁力は、ジュディ・デンチ扮する衣装係が担当。そしてママ役のソフィア・ローレンは永遠に美しいグイードの味方という。そこ、見所なのにー! 
イタリア男がママへの愛から卒業して、パートナーへの愛に生きられるかっていうさー! ギャーッス!(不満)。ソフィア・ローレンきれいだねって、それだけ・・・



舞台では演出の意図がはっきりとあって、女性たちはまっすぐにグイードを見つめて気持ちをぶつけて来ました。9人分の気持ちが全部!ひとりの男に向けられてたので、追い詰められる感じが明確です。


あと、9人の女優たちは、他のパートではバックダンサーのように踊って歌うことによって、グイードの欲望の深さがはっきり見えたんですね。女神、貞淑な妻、奔放な愛人、仕事の片腕、娼婦・・・そしてママ。だれか一人に絞れない、女性の全部がほしいっていう欲望です。


それが、映画では各女優のナンバーのときのバックには、名も知れないバックダンサーが踊ります。それ自体が悪いとはいえないけれど、舞台にあった「おんなたち」というものの存在感が分散してしまいました。もったいない。


映画的映画として撮りたかったのではないか、と推測しました。でも、それとミュージカルというものがうまく融合しきれていなかったことが、ずーんと胸に届かない原因だと思います。


ファーギーのとこが良いです。とっても見ごたえあり。色彩、ライト、もちろん歌、ダンス。グイードの人生を変えたという説得力満点です。あそこだけ、舞台をそのまま映像化っていう雰囲気だったのが良かったのかもね・・・


他は、ペネロペが相変わらずの猛烈恋愛モードで踊ってましたが、ロープがうまく演出上使えてなかったものの、これまた獣のようにグイードを翻弄する迫力いっぱいで満足。


意外と二コール・キッドマンがあれだけの少ない出番ながらミューズなイメージと、女優じゃない私、という2面をうまく見せていて良かったですね。


「フォーリー・ベルジェール」がねー。ジュディ・デンチが踊らないにしても。物足りなかったんです。きれいなダンサーがいっぱい出て、踊ってくれたにもかかわらず。衣装係だからなのかなぁ フーッ


ダニエル・デイ・ルイスが普通に枯れたおじさんだったのが、意外とツライのが盲点だったー。これは自分でもおどろき。映画は容赦なく真実っぽくも見せてくれるんですね。


夢の世界の物語のはずなのに、リアル50歳の切なさが勝って、ダメな姿が情けなさすぎました。


モテる雰囲気がなかったのはどうしてか・・・色気出してなかったのも、監督の意図なのかしら。社会人としてダメでも、男女関係においては、無駄に色気だしててほしいところです。


ダニエルが苦しい顔をしようが、泣きそうになろうが、私の胸には迫ってきませんでした。あー、そりゃ君がダメ男だもの、反省しなよって感じです。
さらに、私が期待したような愛の見つけ方じゃなかったのよ。苦しんだ末に自分で這い上がったようには見えませんでした。


結局、予告編が1番良い編集。勢いがあって、音楽がたたみかけてきて。9人をまとめ切れなくて残念でしたー。歌もファーギー以外に聴ける人いなかったしね・・・あああ。


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