2014/06/18

『ビッグ・フェラー』5/31-6/1 3 怒りによって残酷さを出すマイケルについて

うわぁー、という1幕の重苦しさから解放されないまま、2幕

1987年、フランク・マカードルがマイケルのアパートへやってくる。
ライアン姐さんも言っていたが、マカードルには嫌悪感だわ!

IRAの目標とは別で、個人的に暴力的なことが好きな人物なんだと思った。アタシの健治に何するのよー(違うから・・・)

尋問に行く前に、ルエリと家族の話をしてたのだけど、アルコール中毒のリハビリ中だというのが分かります。今は禁酒期間も長くなってて、妻も喜んでいるらしい。娘が5人だっけ。
アイルランドは離婚や中絶が長い間禁止されてたんですよね。家族観は保守的なんだなと理解。

まずルエリに頭突き。鼻血ブーさせてバスルームへ追い立てる。
ついで、音楽隊の練習から戻ったマイケル(民族衣装が似合ってます)に尋問、バッグを頭に被せ、上から殴る。殴る。殴る。さらに、電気ドリルでルエリをドリル・・・し、マイケルの膝にギュンギュン音を立てて押し付ける(まだ穴はあけてない)

ここでの腹を殴られて悶絶してるシーン、殺陣師さんが来る前に真剣に何度も何度も練習してたら、ウウッってやりすぎて、吐いたという。浦井くん、やりすぎ・・・
と、吐くほど悶絶練習した甲斐あって、なかなか痛々しいシーンに仕上がっていました。

暴力で真実が分かるかというと、そうではなくて、マカードルがわざわざNYに来たのは、締め付けのためでしょう。誰が密告したかがわかれば一番だけど、分からなくても見せしめに痛めつけておこうという考えです。ああ、嫌だぁぁ

コステロ(マフィアのボスみたいな衣装で!)カッコ良く登場。当然三つ揃いのスーツに、帽子に、コートは肩にかけて。きゃー、カッコいい!
来た!俺らのボスが!

ここの対応見てると、やっぱりボスに相応しい人物なのが身に染みます。オレの部下になにしてくれる!ですよ。

バッグ被せられたままのマイケルに触れたとたんに、ビクってする彼を見つめるコステロの表情ったら、大きな父性だったな。マイケル、恐がってて可哀相なり。
その後、ぎゅーっと握り締めたままのマイケルの拳を、包みこむコステロの手が温かかった。1幕ではライアンをメキシコ送りにしたっていうのに、またまたコステロカッコいい・・・ついていくー!という気になりかける。ほんと、この人危ない。カリスマだもの。

拳銃を向け、場を制圧するNYのIRAメンバー。コステロ、鼻血止めで詰め物してるルエリ、顔がはれてる風のマイケル。
<殺しちゃってくださいよ!> コステロに救われ自分たちが主導権を握ったのを見て、とっさに叫ぶマイケル。恐い。うん、マイケルはここまで手を下すところは登場しないけれど、暴力には暴力で、という反応が身についているんですね。

弱みを突く作戦のコステロ、マイケルにプレゼントしたとっておきのスコッチ(だったかなぁ アイリッシュウィスキーではないけど、って言ったのは覚えてるんだけど)の封を開けさせます。
(中身は「午後の紅茶」ですって)

いい音でグラスに入ったなー。マカードルの目の前をチラつかせ、香りを振りまいて。うんめぇー!叫ぶマイケル。子供みたいにはしゃいでます。恐怖からの解放感、マカードルへの憎しみが爆発。
理性あるときならマイケルは表にださないのかもしれない。
棚の上に立って雄たけびのマイケル。テンション上がって好戦的になっているのが、でも人間ってこうなりがちだよね、とも思う。真っ直ぐな好青年が少しずつ変化していってるんだな、と哀しくなる姿だった。

結局、マカードルにウィスキーを呑ませるコステロ。そう、これがマカードルの弱みだから。呑まされたあと、自らグラスを持って飲んでしまうマカードル、最後には嗚咽。完全にコステロとの勝負に負けました。
コステロが反撃するって思わなかったのか、ものすごく不思議です。アメリカ人は銃を持ってるものでしょ? そのぬかってるあたりが、リアルなのかもしれないですね。

冒頭場面からマイケルが祖父のギターを壁に釘打ちしてる話が出ていて、マカードルが激怒するといわれてまして。
マイケルがギターにこんな事をするのは、脚本的に意図があるんだろうと考えてみます。

マカードルが怒る、という伏線だけでしょうか。マイケル、警察の楽団に参加してるということは何か演奏してるってこと?ルエリがひどい音だって揶揄してたけど(バグパイプとか・・・?) 自分が使わない楽器だからって壁に打ちつけるって、けっこう驚きます。しかも祖父のものなのに。
私が感じるのは、マイケル意外と無頓着な人?です。

多くの人は楽器を使えなくしちゃうことに抵抗を覚えるものではないかと。それが出来る人物としてマイケルが描かれるなら、マイケルは自分のルーツにも無頓着な面があるのか。
アイルランド人は音楽が好き、っていうのが一般的な見方であれば、時代ごとの流行を押さえたマイケルの音楽の趣味も、やはりルーツに対する距離感とか態度を示してるんでしょうか。
来るもの、基本、拒まず。マイケル。

たまたまアイルランド系アメリカ人で、たまたま近くにIRA隊員がいて(トム・ビリーのこと)、たまたま血の日曜日事件が起きた頃、青年らしく公平さを願って入隊した、というのがマイケルへの理解でした。自ら掴み取ったというより、目の前にあるものに反応してきた感じ。

ラストに告白されますが、密告者のひとりはコステロでした。この場面においてコステロは、自分の密告によって、マイケルやルエリが暴力を受けているのを見るわけです。心が痛んでるはず。
そして、マカードルが暴力で人の上にたつようにしか生きていけないの見て、またまたIRAのあり方について思い巡らし、マカードルに酒を飲ますことでやり込めた自分のことも、きっと好きになれないでいるのだ。

コステロがマカードルに勝ったのを見て、マイケルは嬉しそうなのだけど、コステロはあまり嬉しそうじゃなかった。正義の目的のために邁進してた自分はもうどこにも居なくて、いろいろと手を汚し心を疲弊させている自分を見つめていたのだと思う。

と、まぁ帰宅して思い出すと、こう理由付けとか言葉になりますが、見ているときはどこにも行けない閉塞感といいますか、虚しさがぐいぐいと舞台から迫ってくるのでした。
カッコいいコステロ(ますます事業も成功か)とは対照的に、心が沈んでいく様がね。なんとも言いようがないどんより感でした。

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