エリザ@名古屋も千秋楽でしたね。お疲れ様です。と思ったら、次は大阪。この暑い中、体調を崩しませんように。
8/5の思い出を今ごろ書いてるのは、暑かったから・・・ はぁ もう半袖は仕舞いたいです。
えー、そう、かなしそう、です。
開幕したばかりの東京公演を見た私、今回の祐一郎閣下はオスだったわ!と食いついていたのですが、名古屋で再会した閣下には、かなしみとか憂いが漂っていたのでした。
演技が抑え気味(冷静にコントロールしているご様子)だったせい? でも、それだけでかなしさは出ない気がします。
生きたい!でも、思うように生きられない、というあまりに大きなジレンマを、窮屈な宮廷生活のなかで膨らませていくシシィを、黄泉の帝王閣下としては、救ってあげたいが、死なせくない、という閣下には閣下のジレンマがあるように見えました。
トート閣下は、生命力の塊のような少女時代のシシィに出会い、その熱い魂に自分が愛されたいという願望を抱くわけですね。だから、彼女が宮廷でどんどん押しつぶされていくのが可愛そうだったのです(断言)。
「私が躍る時」ここのデュエット、閣下とシシィが思う存分、主張しあうように思っていたのだけれど、この日は祐一郎の声が春野シシィを包み込んでいるように聞こえました。
自分の道を見つけた、と自立したことをアピールするシシィへの祐一郎トートの眼差しは、ここへ至るまでのシシィの葛藤と、さらにこれから起こるであろう苦難をも思って、優しくて哀しいものでした。
シシィ存分に輝く人生を送ってほしいんだなぁと思ったの。だけど、死の帝王だから命を奪うことしか、出来ない・・・! つらいわね、つらいわー。
生き抜いたシシィを迎えるラストシーン、何だか今までで1番素敵に見えました。ふんわりと、心の底からすべての鎖から解き放たれて、シシィを取り囲んでいたしがらみから解放されて。
わたし、わたし、わたし!と主張し続けたシシィが、このときには<わたし>からも解放されていました。シシィですらなくて、ただの魂であったようにも見えた。
そんなシシィを優しく迎えるトート閣下の深い愛よ・・・・・ ふう、美しい二人だったなぁ
ワイルドな男女の物語としても、もちろん成り立つ物語であり、しかしこういう魂の救済としての物語としても見せることが可能なのねー。『エリザベート』見直したわ。
祐一郎の声とか、振る舞いで言えば、春野さんのようなシシィの表現のほうが、物語としてはしっくりくるのかもなぁ
アグレッシブで自己主張の激しいシシィとのやりとりも、歌を聞く分には面白いのだけれど、ラストシーンの抱き合う二人に納得する分には、春野さんシシィのアプローチはとても良い表現でした。
じんわりとした感触って意外となかったのですが、そんな気持ちで劇場を出ましたよー。
で、熱く燃えるお見送りの人だかりの端っこに混ぜてもらったものの、すごい人であの大きな祐一郎さんのオデコから上くらいしか見えなかったという・・・ 名古屋、熱かったです。
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