2012/10/07

『エリザベート』9/23-2 いるのに、見えない。

調子がいまいちの瀬奈シシィ。



歌が不安定になるところが何度があったけれど、全体的にはそんなにがっかりしなかったのは、元気が若干足りないのが、却ってシシィの苦悩のように感じたからかもしれない。



打ちのめされるけど、そこにまだ立っていようとする健気さが。



キーヨパパとの関係が良かった。というか、キーヨが良かったんだな。



少女の頃の、パパ大好きなかわいい女の子っぷりもよくて、晩年のコルフ島での対話は、二度と戻らぬ輝く少女時代をも脳裏に浮かぶような、父親への思慕というか。
キーヨの深い愛情と優しさがシシィを救ってくれたら良かったのに。あの時にはもう戻れないのね・・・



前回書いたように、この日の私には、瀬奈シシィの目を通してみて感じた世界を通じて、観客も見ているような構図で捉えていました。瀬奈シシィの一人称といえばよいでしょうか。



祐一郎トートは、そんな彼女をじっとし静かに見つめています。



トートは、そこに確かにいるのに、他の人からは見えない存在。彼を求める者にだけ見えるのだろうか。



ドクトルに変身の閣下が、帽子をマントを放る場面ですら、この元気いっぱいの閣下であっても、シシィが望んだ死への欲求の高まりなのだなぁと思っていたのでした。


そうそう、この回の祐一郎のズンズンズンの迫り方がものすごく勢いがあって、びっくりしました。本当にコワイかもって思った。殺される!とか思うくらいの勢いです。


私ならこんな大きくて美しい人がズンズン迫ってきたら、死にます・・・って言ってしまう! これを断固拒絶のあっちへお行き指さしが出来るシシィ、燃える命の塊ですね。すごいわ。


で、まだ踊らない!と拒否された後の、情熱や気迫をあっという間にすっと消し去って、そうか、と思ったのか思わなかったのか、ちらりとシシィを振り返りながら見て出て行く


そんな祐一郎トートが何とも言えずステキで、祐さまーーーっと叫んでいたのは心の中。


悔しそうに出て行くトートも可愛らしくて好きだけれど、こんな風に大きな視点からシシィを見ているような態度で去っていかれると、たまらんです。


男女の関係的にシシィを求めて無さそうに思えるが、トート閣下のシシィへのまなざしは一度も途切れることがない。と、やはり、つまるところこれは瀬奈シシィの生きたいがために起こる、死への渇望が途切れないとういことか。


妖艶すぎず、ワイルドでなく、静かで美しいたたずまいを醸しながら、その奥底に燃える命への賛美のようなものを持つ、トート閣下でありました。シシィの生きたい気持ちが閣下を動かしていたのでした。


しかしながら、うっとりと拝見していながらも、ところどころ可笑しくて笑ってしまうのは・・・どういうわけでしょうねー。


一所懸命に務めている祐一郎に失礼は承知だけど、真剣だと余計におかしくて、ぶぶーっと笑ってしまいます。




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