2012/10/01

『エリザベート』9/23-1 祐一郎@大阪 新しい感触

梅田芸術劇場 マチネ(12:30開演)



エリザベート/瀬奈じゅん トート/山口祐一郎
ルキーニ/高嶋政宏 フランツ・ヨーゼフ/石川禅
ゾフィー/寿ひずる ルドルフ/平方元基
少年ルドルフ/鈴木知憲 マックス/今井清隆



わかったのよ、わかったのー。



よく、インタビューで祐一郎は、<トートとエリザベートはウラオモテみたいなものだ>という話をしているでしょ? それが、この回すっごく伝わったのです。



どうしてこんなに見てるのに、やっと分かったのかしら・・・私の成長が、ようやく理解に及んだということか・・・遅いわ、ほんと。



祐一郎トートは、すごく泰然自若とした様子で、生者の世界のルールなどはかけらも気にしてない、というか気づいてないのかってくらい。<死>というものさしを持って、エリザベートのいる世界を眺めているご様子です。



男、であることすらご本人は特に意識はなさそうでした。東京公演のときは、ワイルドな男っぽかったのに! なんということだ。



瀬奈シシィが人生のなかで、<死>について考えたり、意識してなくても、心の奥底で感じとったりしているときに、舞台上ではトート閣下が登場し、シシィと会話したり踊ったり。



それが、あくまでもシシィから見た世界における<死>の存在を、祐一郎が表現してたのです。ああ、上手くいえない。





瀬奈シシィが、宮殿に広がっているハプスブルグ家滅亡の序曲を感じとったから、トートはダンスを誘いに来たのであり。
勝ったのね♪と歌いあげるときには、<死>を払拭して自分の人生を手にしている、と感じたから、トート閣下は待機状態になったのであり。


<死>という概念に、エリザベートに恋をする<トート閣下>という人格を与え、


そして今度は、与えられたはずの人格を、俳優自身が脱ぎ去って
<死>という概念だけの存在として振舞ったのです。


祐一郎、すごすぎるって!


祐一郎の透明な雰囲気、佇まいは、またも次のレベルに行ったと思いました。どんだけ進化していくのか、素晴らしいよ祐一郎は。ブラボーブラボーだよ。


嬉しい、悲しい、怒り、こういう人間が持っている感情とは全然違うもので、シシィと彼女を取り巻く世界を眺めていました。


なので、男としてシシィに拘っていません。さらに言えば、彼女を欲しいとも思っていないんじゃないかとさえ思いました。


シシィが自分を呼ぶから、(とても自然に)そこにいる。というのでしょうか。
ラスト、フランツに向かって「自由を!」と叫んでいるのも、シシィのことをフランツと取り合っている男女の話などではなく、叫ばせているのはシシィの心なのかとも思えたの。


だからね、トートと交わしている会話って、シシィの心のなかの声だと思っても、物語は成立するのね・・・って今頃気づいた。すまぬ。
トートとの会話、独り言にしても問題ないんだよー。うわあ、すごいわ。


満足げにシシィを棺に入れる最後まで、トート閣下は本当にこの世のものではないな・・・と。能舞台で幽霊が踊っているみたいでした。


ポイントポイントでは、祐一郎のセクシー美声に酔いしれたし、立ち姿や動きにうっとりと魅入ってしまったのですが、それ以上にシシィにとっての<死>そのものであった、という事態に感動していました。


ロングラン公演のラストに、こういう境地に至ったのでしょうか。熱く燃えるものもステキだけれど、こんな不思議な気持ちで祐一郎トート閣下が拝見できて、遠征した甲斐があったというものです。


はー。


と、こんな風にもはや幽玄の世界か!と驚かせてくれたにもかかわらず、キレキレで踊ってたのよねー。そのあたりも、絶妙なバランスで演じた模様。
切れ味があるいいダンスでしたよー。


いろいろつづく。


0 件のコメント:

コメントを投稿