トム・フーパー監督。
合わないわ・・・私とちっとも合わない。
『英国王のスピーチ』も、とくに映像が素晴らしかったわけではなくて、脚本というか吃音の国王に焦点をあて、当然だけどコリン・ファースら出演者の演技がすばらしく良かったのが、功を奏したのでしょう。
圧迫感のある画面も、国王の重責を見せるにはうってつけ。
この圧迫感のある画面、↑このための方法だと思っていたのだけど、なんとレミ映画においても多用、というかさらに繰りだしすぎて、暴れたくなるほどの鬱陶しさ!
見終えた私の叫びは以下のようなものです。
●ソロパートでは、画面いっぱいの顔どアップがずーーーーっと続く。なんで? 役者は背中でも足でも手語れることを、分かってほしい。というか、背中だって見たい!
●素晴らしい教会にいるのに、ちっとも映してくれない。
はい、何でもソロで顔のアップばかりが続くのは、感情をより強く強調したかったからだとか。でもさ、でもですよ、歌ってるってことは<感情爆発中>なんだよ、だからわざわざ寄らなくても大丈夫なんです。
なんでアタシは大きなスクリーンでアップばっかり見せられるんだろう・・・と哀しくなりました。驚きや感動を、アップで映すのは手法としては分かるんですが、一々ソロになるたびに決まりごとみたいにアップを続けるなんて、やりすぎです。
・・・ばかなの?(言葉が悪くてゴメンよー)
つづいて、教会の件。これは教会に限らず風景とか背景のことなのですが、舞台の狭いところから広い世界での映画は、きっとスケールが大きな映像が見れることだろう、と期待していた。
でも、なんか・・・違うの。ちがうんだ。
冒頭の、大きな船を曳いているとこ、ものすごくテンション上がりました。素晴らしい! これぞ映画ならでは!
これだけは良かったです。
しかし、その後は<そこ見せて・・・><映して(泣)!>の連続。
バルジャンが、司教様の大きな愛、神の愛に触れ生まれ変わろうと小さな礼拝堂にて決意。
バルジャンが見上げてる先に、何があるのか気になって仕方ありませんでした。で、ついに教会からでて許可証を破ります。
私が見たかったとこは。彼が出て行くときの後ろに金色の背景として映っただけでした。別にさ、じっくり映して欲しいわけではないけど、一瞬でもバルジャンの肩越しの映像があっても良いんじゃないかしら。
ラマルク将軍の棺の列、もお金掛けたね・・・という大きさは分かります。学生たちが気勢をあげるのも、まぁ良かったか。あ、ジャベールの騎乗も良かったですね。
居酒屋の看板(ですか?)が大きな眼なのとか、ジャベールがひたすら縁を歩いてるのとか、分かりやすくて、あんまりです。特にジャベの縁・・・うーん、そこは遠目くらいがちょうど良いかと。
縁を歩くブーツ映す→鷹たか鷲だかの石像をバックに教会らしき屋上に立つ→歌うので、顔アップ。
変化のない映像に、またも失望。センスないわ。さらに自信のないラッシーの声が被って、もうアタシはお口あんぐりですよ・・・
星を見上げてるひとが、縁にいたら危ないでしょ? すでに死にたい人なの? そうなの?(でも捕まえる!って誓ってるんだから、死ぬつもりないよね・・・?)
平たいところで、思いっきり天を仰ぎ見るほうが、ジャベの歌ってる歌と合うと思いますー。
・・・まだ続く。
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