2013/01/24

映画『レ・ミゼラブル』-1 ヒュー&アン

映画の感想は、「大貧帳」にちょこちょこ残しているのですが、レミなのでこちらに書くことにしました。



■ヒュー・ジャックマンとアン・ハサウェイの熱唱について



1、ヒュー・ジャックマン
冒頭、囚人時代の痩せてる姿を観るだけで胸が詰まりますね。映画は、<写して>しまう。想像させるよりも<見せて>しまうんだなと、しみじみ思いました。



ここで丸々としていたら、バルジャンいい生活してるんじゃ?って疑念が湧いてしまうわけですわ。偉いなぁ(だからさ、ジャベール殿がさ・・・うん・・・)



歌については、心配してませんでした。そして、満足の歌声。演技しながら、歌っています。歌で演技しています。ブラボーブラボー!



コゼットに出会ったところの笑顔、たまらない。愛するもの、そして愛してくれる小さな天使に出会えたのね
新曲も、なかなか分かりやすい音楽ですが、ほぼツライ話が続くので、前半の素敵ソングとしていいのではないかと。



椅子でジャベールを脅かさなくて、川に飛び込んでびっくりしました。新演出でも、椅子壊さなくなるのかな? 非暴力のバルジャンになったのかしら。



ジャベールは水が怖いのかしらね・・・ 泳げないって顔してた。



・コゼットに秘密を話して、と迫らせるときのヒュー・バルジャンは、お胸がゆるくはだけたワイルドバルジャン。妙にセクシーだから、あぶないあぶない。



・シャキーンって、学生に捕まったジャベを助けるためのナイフ。そ、それはウルヴァリン的な? つい笑ってしまった。



・下水道、よく考えたら、そういう場所よね。すごいわ、バルジャン。偉い。



なにはともあれ、頑張って生き抜いた。コゼットを守り抜いた、バルジャンの一生を熱く演じましたー。





2、アン・ハサウェイ


アタシいまかなり歌ってる!アタシアタシアタシ!


と、いうアグレッシブな雰囲気が漂うファンテーヌでした。アメリカ人らしい。歌い終わったあと、拍手しなきゃって思ったよ。


私のイメージだと、少女のころの面影を残す(精神的にも)女性、というもの。衣装もカワイイピンクので、たぶん少女らしさを醸そうという狙いがあったのではと思います。


が、思いのほかガッツあふれる演技のアンでした。


演技の方向性は横において。<ファンテーヌ>としてだけみると、アグレッシブさは→強い母性と置き換えられる、かな。必至に娘を育てようとしてる気丈な女性に見えました。健気とは違うよなぁ 健気ではあるのだけど、何より気が強いところを出してます。


なんだか激しいと思いつつ、ヒュー・ジャックマンの熱い演技とはいい相性なので良かったよ。


画面上では、一番痛そうな役で辛かった。


夢やぶれて♪ の歌う場所が旧舞台版と違いますが、映画の展開からいくといいところに変更されていたと思います。あまりの状況で歌うので、昔を懐かしむ歌から、ほとんど呪いのような曲にさえ聴こえてきます。


諦めと絶望のなかであっても、コゼットは希望であったよねと思いたい。


映画ってこういうことね・・・と感じたのが、ファンテの死の場面。舞台であれば美しく死んでいくところですが、映画は美しいまま死なないのですね。
死にそうな人、という演技なのでコゼットに声をかけてるその声が、もう死にそう。母の愛を感じたいところですが、<死にそうなひと>という演技のほうがインパクトあります。


後で書きますが、役者の顔をアップにしまくるせいで、デカ目のアンも始終アップのまま。このメヂカラ女優をアップで観続けるのは、しんどかった・・・




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