2015/05/18

『デスノート』2 小さく思い出すと、良いものみたと思える

遠かったと感じたことが、いまさらながら悲しくて、ショボンとしてます。自分で書いたくせに、文字にすると、ぐっときますね。つらいー。

何がつらいって、浦井くんの全力を受け止められなかったんじゃないかという切なさといいますか。仕方ないんだけど、ああ、つらい。

さて、浦井くんについて。
純粋すぎて世間とズレている秀才くん、父を尊敬しているけれど、それもズレてる(愛情は父子の間ではしっかり伝わっているのに、進む道が根本的にズレていく)青年。

実は最後までハテナだったのが、冒頭の教室での会話部分です。法では達成できない正義もあるというのが、月の主張だったかと思うんですが、最初から法を越えた正義を優先すると考えていたなら、父親の職業への尊敬も確固たるものとは言いがたいんじゃないかと思ったのです。警察官は時に法律のために正義と思っていたことが通らないこともあるでしょう。
見間違い、聞き間違いしてるのかなぁ。

法の遵守と思っていたけれど、デスノートと出会ったことで、法を超えた正義の実現を夢見てしまったんじゃなくて、そもそも、オレ様の正義が優先すると思っていたということですよね。

一回きりの観劇は(ものすごく集中して観たつもりだけれど)取りこぼしまくっていて、これまたつらいわー。観れただけでも良かったんだけどね。

で、デスノートを手に入れて、自分に迫る捜索を断ち切ろう、というわけで外国人捜査官(名前は忘れました)を探し出して、デスノートに書いてしまいます。今までは犯罪者と認定できる人を抹殺していたところから、ますます戻れない道へ踏み出した場面。

音楽とセリフでは逡巡してるんだけど、やはり冒頭の教室の会話があるので、実のところ逡巡してるのは自分を納得させるためのポーズであって、心の底ではやる気満々に違いないと踏みました。その前から、月の正義はコースを外れていたんですよね。
世界はオレのもの! わー、これはドラえもんの<どくさいスイッチ>だよね! 独裁者だ!独裁者の末路は決まっているのに・・・あああ(浦井くんが可愛そうになっている)

私の思う演技的ハイライトは、ミサミサを道具に見ている場面かな。
あれはゾっとしました。ミサがどうなっても平気だっていうあの冷酷な目ね・・・

ビジュアル的ハイライトは、ラストシーン。リュークにさらーっとデスノートに名前かかれちゃう月の驚愕、這いつくばって何故だ!死にたくない!と価値観が崩れ落ちていく姿。

そして鋼太郎リュークが、超カッコよく立っているのでした。のた打ち回る浦井くんより迫力が上回って、動く漫画っぽい舞台(まぁ実際そうなんですが)から、生身の人間らしさ(・・・死神の役だけど)が勝利する演出、というのか、演技力。

あまりに原作コミックが有名だと、演出側の意図ではなくても、舞台の俳優のうしろにコミックを思い描いてしまうものだと思うのです。それを時折、それはそれ、でも今は舞台を観てるんだよねと気持ちが切り替わるのは、鋼太郎さんのお陰だったな。

カバー曲を歌っても、ほとんどの歌手はオリジナル曲を越えられてないものだと常々思ってるんだけど、たまに自分の曲にしてしまう人もいます。鋼太郎さんリュークは、自分のものに出来る俳優でした。素晴らしい。1階席で観てたら、色気に痺れて死んでたんじゃないかと思うわ。

やっぱり、月の心の流れは把握できるものの、あらすじも気を配らないといけないところで、分からない感が払拭できず入り込めなかったのかも。セリフのなかに状況説明や筋が入っているので、それを追っているだけで、神経使ったなー。
CD出るの楽しみだ。

音楽については次回まとめてみる。

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