2014/11/30

『スリル・ミー』11/22昼 伊礼/田代ペア 1 小鹿か子犬のような万里生

@銀河劇場
伊礼彼方/彼
田代万里生/私
ピアノ/朴勝哲
演出/栗山民也

それぞれのペアの略称が並んでいるなか、<伊万里>ペア、と仰った方に座布団一枚ね! うまい!きれい!

さて、評判が良いので一度観てみたいとおもっていた作品、日程の関係でどのペアかは選ばず、取れたのが、この伊礼&万里生、でした。スチール写真の段階で、落ち着き払った感がダントツね・・・と思っていたのだが、
開演早々に「19歳」と<私>が言って、椅子から落ちそうになった。

じゅうく? あらまぁ・・・ わかったわ、じゅうくね! 童顔に短めの髪が可愛い万里生はともかく、伊礼さん! 心の目を200%活躍させて、じゅ、じゅうくよ! シュミが普通じゃない<彼>だから、まぁ老けて落ち着いて見えるのかもしれないよね。無理遣り納得しました。

ここの肝は、未成年(裁判上、それも大事なのかもしれないが)その事より、若者である、という設定を押さえればいいわけですし。
パッと見、<私>の自分への執着を利用してコントロールしている、という態度であれば見た目なんか二の次だわ。

登場人物は語り手の<私>と、<彼>、シンプルな舞台の2階部分端に、唯一の伴奏であるピアノ。
休憩なしの100分、少しずつ少しずつネジをきりきりきりと巻いていくような展開、客席も緊張感に呑み込まれていく面白さでした。「現在」の仮釈放申請の場面からスタートするので、「過去」の19歳の場面から、逮捕に至ることは分かるのに、ドキドキがすごくて、見事な脚本と演出、そして音楽です。

観終わって、各ぺアごとに<彼><私>の関係性、主導権がどこにあるのか、どの段階で2人の依存しあう心の動きを見せるのか? タイミングや見せ方が少しずつなのか、けっこうなのか、とにかく違うにちがいない。
同じペアであっても、その日の自分の気持ちでも変わるかもしれないしなー。ああ、これは全ペア観たくなる地獄!(観たかった)
物語そのものの構成はシンプルにつき、役者の力量や個性で面白さの濃淡が決まるのだね。

伊礼&万里生はどうだったか?
見た目上、分かりやすくガタイが良いほうが、支配的な態度。童顔で伊礼さんに比べれば小柄(でも万里生も決して小さくはない)が・・・と、ここまで書いて公式で身長確認したら、伊礼178、万里生177でした。1センチしか違わなかった。おおー、役の印象や全身の雰囲気で、もっと差があるように感じてたな。

大学院生となった2人は久々に再会、<私>は子犬のように<彼>にまとわりつき、冷たい態度をとられる。他の人と、自分たちは違う。<彼>にとって自分は特別な人間だと訴える<私> ふむふむ。
恐ろしく“中二病”な、ニーチェを持ち出す<彼> 俺は、俺たちは、「超人」だから、世の倫理や法律などお構いなしでOK、自分自身の考えで行動するんだ、などなど。

哲学などちっとも分からないので、帰宅してからニーチェの項をナナメ読みしてみたけれど、ものすごく大雑把な私の感じ方だと“中二病” ほんとは違うとおもうが、とりあえず。自分のこと高く評価しまくって、超人はその他の凡人より偉いんだぞーっという選民思想っぽい。たぶんほんとは違うけど。とりあえず。

19歳だもの、俺は人と違う特別な人間だ、というのは“中二病”でくくれる気がする。<彼>がニーチェを深く読み込んだ結果ではなくて、むしろ思春期のオレ様気分に、ニーチェの「超人」がフィットしたので、理由づけのため「超人」と言ってるだけであろう。

若者がいきがって哲学者の言葉を引用するのはありがちなことですが、だからって放火したり殺人を犯すのは、度を越してました。その意味では「超人」でしょうかね。

さて、始終傲慢な態度で支配的に見える<彼>が、実はそうではなく<私>に深く依存していることを垣間見せる場面がわりと冒頭からありました。

放火や盗みの見張り役をさせられる<私>が、これ以上は付き合いきれない、と切り出す場面。このやり取りの落ち着く先を見ると、二人ともこえええーって思うんですがー。
<私>が自分から離れようというそぶりを見せると、俺にはお前が必要だと! 怒って罵倒したあとに、優しくするなどDV男の常套句だわ! 万里生、逃げてーっ などと純な私は思ってましたが、ほほほ。

結果、契約書を持ち出して、二人はお互いの要求を必ず満たすこと、という血の契約を結びます。
本当に、本当に、自分の倫理観などから<彼>に付き合いきれないと本心から思っていたら、どのように言い募られても犯罪を重ねることは変わらないのだから、きっぱり去るべきですよね、でも<私>は契約を結びます。

おどおどと従う外見とは別に、<彼>には自分が必要であることを<私>は確認したかった、言わせたかった、服従してるカタチを取りながら、<私>と<彼>の関係強化した場面でした。
背中がぞわーっとするような、静かな怖さがありました。共依存・・・
しかも、小鹿か子犬かのような可愛い万里生<私>を見ていると、Sな自分が掘り起こされる気さえした。言葉は悪いが、可愛すぎていじめたくなるというか。
<私>の従属的な態度が、むしろ<彼>の傲慢な態度を引き出しているようにさえ見えるのだった。
客席の私の心の支配的な部分を呼び起こす万里生<私> 怖いわよ。

そして、<彼>にしても、態度では傲慢さを保ちつつ、<私>に去られることが恐怖なんだというのを、うすうす気づいたような表情の伊礼さんだったかと。表面化してないし、表層では<私>を良いように操縦するオレ、というストーリーを保ったけれど、このやり取りは見た目の関係性とは違う二人の主従関係の一端が見える仕掛けです。
「超人」たるオレ様を維持するためには<私>が必要であるし、オレがいなければあいつはダメなんだと思うために<私>には<彼>が必要。
面白いーっ 

中盤の児童誘拐&殺害の場面へ展開している最中は、この2人の微妙な関係をふと失念してみていましたが、このちょっとした2人の力関係のあり方が、終盤の展開への伏線となるわけです。
万里生の静かな「ぼくこそ超人」を聞いた瞬間の、うぉー、やられた感、面白いわーっ

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