2004/08/25

武蔵野うどん@江戸東京たてもの園

イトコと二人、小金井にある江戸東京たてもの園へ(バス2回乗り継いで遠足気分)。水木しげるの妖怪道五十三次展も開催中です。

ぶり返しの暑さのなか、素敵な住宅展示場・・・の園内をみてまわりました。「子宝湯」などは、私の職場には小さいころ入ったよ、というおじさんもいて、こんな立派な風呂があったのねと感心。東京は忙しい街だけど、こういう景観も大事にしてこれたらもっと良かったのになぁと思います。何せ、建物の風情は大してない札幌っ子なので。

誰々邸宅、となっているのですごく奥行きがある感じがしました。高橋是清宅なんか、ここで226事件が起こったのかとドキドキ。こんな家に住みたいよ。

園内にはボランティアがたくさんいて、建物の説明とか昔あそびとか、かなり頼もしい様子でした。この時は、いろり実演中。暑いけど雰囲気は良かったです。

遅めのお昼は、園内の蔵風レストランで武蔵野うどん。つなぎにそば粉が入ってるそうです、歯ごたえもあって好きな味でした。武蔵野は貧しい土地だったので、おめでたい時にうどんを打った(でも足りなくてそば粉入り?)のだとか。武蔵野は雑木林だけなのか?

1 件のコメント:

  1.  こんばんは。
     武蔵野は貧しい土地、というのは、武蔵野台地は平野の上に厚く富士山とか浅間山とかの火山灰が積もってできた大地なので、井戸は深く掘らなければならず、水に苦労した、という意味なんです。水が不自由だったので、水田は川沿いの低地くらいにしかできず、あとはほとんど耕作可能な土地は畑でした。というわけで、米より麦の方が多く栽培されていて勢い、おめでたいときはもちではなくうどんとなったのだと思います。
     さらに土地がやせているところでは、そういう時はそばだったとか。
     よく関東はそば、関西はうどんといいますが、関東でも最初はうどんだったんですよねぇ...
     ただし、関東はひもかわといわれる平打ちのものが主流なんですけどね。

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