2015/04/21

『禁断の裸体』4/16昼 2 パンツの変遷 黒Tバックへの道のり

■エルクラーノと家族
弟との関係も、立場上の兄としてしか応対しないから、いい関係にならない。しかし弟を家から追い出し見放すほど、思い切れない(いい兄でいたいのだろう)
いや、弟も性的にどうなのっていう、初体験はヤギだったっけ・・・(家畜だった)なんで動物。下半身で生きてるらしい。

池内さんは、だらしない肉体を目指してオヤツを食べてるらしいが、それほどだらしない肉体ではなかった。元が締まりすぎてるに違いない。

息子セルジーニョは、禁欲的な母やおばたちが影響したらしく、性的に未発達というか、いまだ性的なものを毛嫌いしている青年。母が処女のままならよかった(自分が生まれなければよかった)と言うあたり、心の問題、それ大問題だと思ったものの、そこへ至るセルジーニョの心が掴みきれなかった。聖女伝説かなにかだろうか? 受胎告知みたいに生まれたかったのかしら。

エルクラーノが息子を愛しているのは掛け値なし、素直に分かるけれど、向き合わなかったツケがラストに一気に爆発していくところは、終ってみればいっそ爽快感さえあるかも。観てるときは、はああ??? と呆気に取られたとしかいえないが、あとから思えば、セルジーニョの復讐が一番インパクト大だった。

というか、あれは自分を囲い込んでいた家族への復讐であり、それから自由になった瞬間でした。ただそれが、留置所で一緒になり陵辱された「ボリビア人の泥棒」との旅立ちなのが、驚いた。ほんとビックリしたよ。50年前のカトリックの国でゲイである自分を受け入れるのは、大変なことだろう。それで、いろいろ混乱してたんだろうか。

ブラジル人のボリビア人へは差別的なものがあったことにも驚いた。何も知らないから、私いちいち驚いてた気がする。ブラジルは白人系が多くて、ボリビアは先住民が多いらしいですね。ブラジル人が想像するボリビア人って風貌で登場し、全身もじゃもじゃ感に溢れてました。あと、ボリビア人に向って<泥棒>という野次があるらしい。

ところでボリビア人に報復しようと拳銃を持ち出したものの、すでに釈放されてて実はほっとしてるんじゃないかと思わせるあたり、小市民エルクラーノ・・・いいわ。
しかも、神父に、「妻が死んだとき、後を追おうと銃を口に入れたら、違うものを想像してしまった(オーラルセックスというやつ・・・?)」と告白して、やだもう! エルクラーノ馬鹿な子だよう

■エルクラーノとパンツ
最初は、色気ゼロのコットン100%でか白トランクスでした。性的な自分を表現しようとしてない時代は。
後半、ジェニーをお家に囲ったときのおパンツは、黒Tバック!!! 分かりやすいわね! 色気づいちゃって・・・(オペラグラスを構える間に、ズボン履いてしまいました。くうう)
そしてパンツを洗濯してチェックするのは、おば1(木野花) ぎゃーー。何のチェック・・・

■なんかこう、ちっとも作品の核心を突くようなメインテーマとかが浮かばず、思い出すのはアレコレ可笑しなことばかり。

あと、エルクラーノは主人公的立場なのに、自分語りをあまりしない。むしろジェニーのほうが、自分語りするし、テープ音声で場面を進めていく役割なので、ジェニー物語としてみるほうが分かりやすいことも多い。

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