2016/07/01

『あわれ彼女は娼婦』6/16昼 2 そこにいるけど、いない

浦井くんはしょっぱなから、修道士に自説を語ってます。

同じ腹から生まれた美しい妹(それって自分も美しいって思ってる)、最も近しいのは自分で、ひとつになるべきなんだ・・・というような感じだったか。
いちおう教会で救いを求めているのだけど、神のいうことが間違っていると思っているようなので、全く世間様とか宗教の教えを意に介してません。

こういう人には、何を言ってもダメよね。

自分のしたいことを認めてもらう、ことすらどうでもいいようだった。完全に社会と自分を切り離してたな。そこにいるんだけど、いない、というか。
薄い膜が彼の周りにはあって、決して他人と重ならないように見えた。

演出の意図なのか、浦井くんの演技の特色なのか・・・考えてみたものの、一回の観劇だと判断しにくいかな。
見た日の感想は、演出意図だとと感じました。わざと夢見てるひとのように演じているのだろう、と。

意外なのは、アナベラがいずれ誰かに嫁ぐだろうというのは理解してる点。妊娠がなければ誰かに嫁がせて、たまに会おうよっていうこと・・・???
(自分勝手だなーーー!!! 下半身の奴隷か・・・もちろん当のジョバンニは身勝手だなんて思ってないし心の声に従ってるだけと信じている)

ジョバンニはゲスいとかじゃなく、この世界に住んでないって感じです。最初から最後まで、だれともかみ合ってない。
思い出してみたけど、だれかとキチンと対話してるシーンは少ない。対話してても、やはり自分の思いをとうとうと述べているばかり。

アナベラ、兄ちゃんのどこがいいのだ。顔か・・・(違う)

アナベラは、はじめは愛してくれる兄に身も心も捧げるが、妊娠したことで違う視点を持つことになった。セリフには特に出ていなかったけれど、しばしばお腹に手を当てている。子供が生まれることを願う気持ちが出ていたのではないかと。

だからこそ、2幕でソランゾとのやり合いは鬼気迫るものがあって、素晴らしかった。
蒼井優は、好きだと思ったり嫌だなぁと思ったりする不思議な女優さんなのですが、嫌なときって彼女を可愛い女の子としか使ってないときかも。このシーンは、好きです。
華奢な姿が2倍に思える凛々しいセリフ、髪をつかまれても、全力で兄と(たぶん)子供を守ろうとしてる姿、カッコ良かった。弱きもの、女は。そう呼ばれても弱いと思われてる部分を使って逆転しようとしてた。

アナベラのほうが大人。
幽閉されてるなか、修道士にのたうち回って懺悔する姿。兄への思いと、しかし道を踏み外したのだ、という思いがぶつかり合ってました。・・・兄ちゃんは全然、せめぎ合いなどしてない。

自分は死ぬが、その死をもって兄を救ってくれという願い、あんな形になるなんて「むごい」

アナベラの心臓を取り出して、ソランゾ誕生会をめちゃくちゃにする兄。
1幕ではどこかに嫁ぐことはOKだったのに、アナベラがソランゾに糾弾されて死ぬことは許せないと。

→愛だ何だというけれど、そこはジョバンニとソランゾは基本この時代のお坊ちゃまの考え方に沿って思考しているのが、やはり現代人目線からは腹が立つポイントでもあり。仕方ないけれど。
社会と宗教の規律から外れようとするのに、女性への態度は時代を背負っているのよね。

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