2019/09/16

『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』9/4昼 とにかく素晴らしかった

EX THSEATER ROPPONGI

映画は遠い昔に見たことがあって、オリジナルキャスト盤CDは聞いていました。

復習などはせずふらふらーっと見に行ったところ、ステージ上にバンドとイツァーク役のアヴちゃんがいてくれるものの、
ほぼほぼ一人芝居、休憩なしの1時間50分!

すごいわ。
歌も、芝居も、語りも。ほんとすごい。

ここまで演じてきたこと全てが活きてる、いいタイミングでこの作品を演じることになったなぁ、大感激です・・・はぁぁ

映画での印象だと、ヘドはもっと痛々しかった。表情が画面に大写しになるせいかな。
映画だと思い出シーンは過去へ登場人物もさかのぼってからの始まり、東ドイツ~アメリカへ~ライブ、って流れで、思い出をたどるシーンが連続して出てくる構成で。

舞台だと、ステージ上でヘドが自分史を語り歌う構成なのですねー。

会場がライブ用だし、ロックだしってことで、ライブ用耳栓をもっていきました(正解)耳の弱い人は持っていくと良いと思います。

これまでのヘドを何人か見てきた方たち、今までにないタイプのヘドだと評価してるのをいくつか目にしました。私は映画のほかは知らないけれど、それでも浦井ヘドの明るさって新しいのかなと思う。

怒りや諦観があるにはあるけど、それより生きたい、自分らしく生きたいっていう健全な希望が満ちてたのでした。

哀しい話してるし、ダンナ=イツァークにも辛く当たるところとか嫌なやつなんだけど。
憎めなくて可愛げがあって母性と包容力も醸し出し、最後のMidnight radio歌ってる姿は、希望だと感じました。全然行き止まり感ないの。広がっていくイメージ。

またつらい目にも遭うんだろうけどそれでもきっと浦井ヘドなら乗り越えて、またいい歌を歌ってそう。
神経質そうじゃない、おおらかですね。
(やっぱりあのホッペかな? かわいい頬袋に癒されるわ)

作品が誕生した当時とは観客側の見る視点も変化していることも、影響ありそうです。

すごく特別な人の話ではなく、いつでもどこでもありうる愛の物語、自分とは何者か?という「普遍的な自分探しの物語」として受け止める下地が生まれています。
女装している男子か、女装している女子か、どちらでも「ヘドウィグ」であるし、「ハンセル」であるし。

球体人間とか完全人間のことなんだけど、私も高校生のころ倫理の時間にこの話を聞いて、ロマンティック!と感激した記憶があります。

自分は本当は完全な人間だったはずなのに、今、不完全なのは半分になってしまったからだ、っていう。
成長するとこの不完全で理想とは違う「自分」と折り合いつけて生きていく道を見つけていくわけですが。

軍人は顔も覚えていない父親を重ね、年下未成年のトミーはアメリカに生まれていたら自分だったかもしれない姿(カタワレであり)を見て、そして女性として脚光を浴びたい姿は、イツァークに重ね(自分と被るからアイデンティティの女装を奪う)てました。
自分を語るときは、自分だけでは生きていけず、誰かと自分との関係で語るしかないっていう懐かしの文学科魂が刺激される構成よ。

なのでシンプルだからこそ、見る日の自分がすごく反映されそうな物語です。
この日の私は、浦井くんすごいすごいがメイン、次いでアヴちゃんのキャスティング絶妙だな、2019のヘド愛してるー!って感じでした。

語り。
MCとかで話すふんわりの浦井くんとは別人なのよ。ほんとそこが大好きなとこですけど。
だって休憩なしでずーっと物語を自分で語って自分で進めて、歌うの。

セリフ感があまりなくて、それも素晴らしかった。
「ヘドウィグ」は女らしさを纏っている役で、元々が芝居がかった人物なのもあって、とてもそれらしく聞こえます。巧い・・・良いーっ

それから、語りのなかで登場する恋愛の相手との回想語りでは、米軍人やトミーの役もスッと語りのなかで声色変えて演じ分けています。ああ良い・・・

下ネタもあるけど(オリジナルよりはやんわりしてるそうだ)品があるんだよ。浦井くんの品だろうなぁ 汚らしくないしね。体を売った話も、人生いろいろあるし、アナタはそれで相手を知ることができるんだねと聞いてました。
あっけらかんとしてるせいもあるのかも。


新訳、流れも意味も聞きやすかったです。
いわゆるミュージカルで書かれる歌とは違う、曲が独立しているけれど、その時々のヘドの心情を表している。
うまく説明できないけどカタログミュージカル的というのかな。

それを曲ごとに独立した歌として歌ってました。
冠さんが歌唱指導についてらした成果も感じられたし、10年前の浦井くんなら喉をつぶしかねないところを、喉を酷使しないで表情豊かに歌っています。低くドス利かせたり、やさしく歌ったり。良いーっ

前に進むには何かを捨てなくちゃ、ってイツァークに言うヘド、酷いのだ。
ここまで被害者として語ってきたけれど、ここは加害する側にも立ってしまうんだよね。
セリフでは無いけど、ヘドは歌も自尊心もトミーに奪われて、ヘドはイツァークのイツァークらしさを奪っています。

ずっと黒衣装のイツァークが、ヘドからウィッグ渡されて(最初はヘドにかぶせてあげようとするの、イジラシイよぅ)自分を取り戻すの、ずーっとあまりセリフはないけれど、ステージ上でヘドのサポートしてトミーはこう言ってるよって示唆して、行動で語ってました。

アヴちゃんのドラァッグクィーン姿が美しくてまぶしくて。
イツァークに嫉妬するの分かる。でもそのままのイツァークを受け入れられたヘド、良かったね。

ウィッグもメイクも取れて、汗だくで、パンツ一丁で立つその姿が君そのままの姿なんだね・・・美しい。メイクしてもいいし、衣装着てもいいし、パンイチでもいいし! 自分自身でいることが最も大切なのだ。

ふう、感想もひとくくりにできないくらいの作品でした。
浦井くんが演じた役、どれも大好きだけど。
ヘドウィグ、かなり大好きな役になりました。

今週、大阪でも拝見します。
また深めてるんだろうなぁ 楽しみ!!

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